2月
江戸川蘭子
Posted in 23辞典 | No Comments »えどがわらんこ【江戸川蘭子】[人名]
松竹少女歌劇のトップスターでのちに歌手。「上海リル」「さよならも言わずに」「ラ・クンパルシータ」「ラ・クカラチャ」「タンゴ・ローザ」など。晩年まで女優として活躍していたらしい。
えどがわらんこ【江戸川蘭子】[人名]
松竹少女歌劇のトップスターでのちに歌手。「上海リル」「さよならも言わずに」「ラ・クンパルシータ」「ラ・クカラチャ」「タンゴ・ローザ」など。晩年まで女優として活躍していたらしい。
だんちょねぶし【ダンチョネ-節】[固有名詞]
ダンチョネ節のもとは、神奈川県三浦港あたりにうたわれていた民謡で、それが最初商船学校の生徒たちの間で流行り、戦時中には兵隊ソングとして愛唱されたものです。
歌詞の最終節にある「ダンチョネ」が、断腸の思いにつながることで、明日の生死も分からない兵士たちに親しまれたのでしょう。
(「オリジナル盤による昭和の流行歌ブックレット(下)」より)
以前の記事でも参照した日本コロムビア創立80周年特別企画・オリジナル盤による昭和の流行歌 ブックレットの三条美紀「私がリルよ」の解説に「リル幻想」みたいなもののことが書いてあって。
昭和27年には、三条美紀の初吹き込みであるこの「私がリルよ」をはじめ、久慈あさみの「霧の港のリル」、三条町子の「私は銀座リル」など、リルに対するアンサーソングが氾濫しました。
時代は昭和十年代に遡ります。ディック・ミネや江戸川蘭子などもうたった元々はアメリカ映画『フットライト・パレード』(1933年)の主題歌であった「上海リル」が大流行しました。戦局の拡大化に伴って中国大陸への関心が昂り、一連の上海ものが出現しましたが、上海リルという女性への思慕をテーマとしたこの歌は一連の戦時歌謡になりエキソチズムを漂わせて、人々の心に滲み入って行きました。
江戸川蘭子 – 「上海リル」(1936)
そして、敗戦。外地からの引揚者の話題が語られない日とてない当時、昭和26年にこの上海リルへの愛着をこめた津村謙の「上海帰りのリル」が世に出て大ヒットとなり映画化もされました。「リル、リル、どこにいるのかリル、誰かリルを知らないか」と呼びかけに答えて、「ここにいるのよ、リルは」というアンサーソングが生まれたわけなのです。
津村謙 – 「上海帰りのリル」(1951)
残念ながら「私がリルよ」ほかアンサーソングのどれもYouTubeには見つかりませんでした。ちなみに「日本流行歌史」によると、「上海リル」は異なる訳詩で競作されたらしく、一番売れたのは服部龍太郎訳詩、エノケン一座の歌川幸子が歌った盤だったらしいです。
あ、それから。江戸川蘭子さんという歌手が妙に気になります。アングラ演劇でもやってそうな名前でw。
この前、テレ東で「テネシーワルツ」っていう2時間ドラマをやってました。
わたしはテレ東の2時間ドラマってけっこう好きです。派手さはないけど、こう、誠実な気がして。日曜日の午後2時からの再放送コーナーはすごく楽しみにしています。
「テネシーワルツ」は江利チエミの歌う同曲のレコードがストーリーの鍵になるドラマ。サスペンスという色より運命とか親子、家族の絆みたいなものが主題。時代に翻弄された母子と、高島礼子がちょっとはすっぱな母親役を演じた、現代を生きる血のつながらない母子との対比。
ドラマの中で、この江利チエミの「テネシーワルツ」が流行ったのが朝鮮特需の頃っていう台詞が出てきて(1952年発売)、wikiには江利チエミとこの曲とのエピソードが載ってた。
特にチエミを可愛がってくれた進駐軍兵士ケネス・ボイドから彼女は運命のレコード「テネシーワルツ」をプレゼントされる。
…江利チエミにとっても「テネシーワルツ」のレコードは人生の大事なキーになるものだったんですネ。
第28回横溝正史ミステリ大賞 テレビ東京賞受賞作品 「テネシーワルツ」
高島礼子主演 第28回横溝正史ミステリ大賞 テレビ東京賞受賞作品「テネシーワルツ」のドラマ化。
「喫茶オリビエ」のオーナー・川村尋子(高島礼子)は夫と離婚後、再婚した元夫のところから転がり込んできた、義理の息子・孝之(佐藤拓也)と2人で暮らしている。そんな尋子にも、コンビニの店長をしている馬渕(乃木涼介)という婚約者がいる。
ある日、尋子は孝之から妙な話を聞く。孝之の同級生・明日香(柳本絵美)が、馬渕に頼まれた“仕事”の報酬が支払われないことに腹を立てているという。仕 事の内容はわからないが、とにかく馬渕はひどい奴らしい。裏で悪事に手を染めていると推測する息子を尋子は笑い飛ばす。そんな話をするなか、馬渕が来店す る。喜ぶ尋子をよそに、孝之は露骨に嫌な態度を取り、その場を後にする。尋子は、馬渕の開いた鞄に目を留める。こっそり覗くと、旧いSP盤の『テネシーワ ルツ』が入っていた。ジャケットには“I lost my little darlin”の走り書きがあり、 “三隅早苗”の名前が書かれていた。さらに、『高齢者ケアセンター 鶴寿院』のパンフレットも入っていた。
数日後、馬渕が何者かに殺されて遺体で発見される。一報を受けた尋子は、井之頭署を訪れて篠原刑事(金田明夫)の取調べを受けることに。生前、馬渕が友 人に「ストーカー女に付きまとわれて困っている」と打ち明けていた事から、事件当日のアリバイを聞かれてしまう。取調べから帰宅すると、孝之が店の前で 待っていた。何者かに家中を物色されていて中に入れないという。尋子はわけがわからず困惑する。その時、馬渕の知り合いで野村という老人が来店する。野村 は、唐突に馬渕から旧いレコードを預かってないか聞いてきた。尋子と孝之は、野村が家捜しをした犯人ではないかと食って掛かるが、きっぱり否定される。野 村は、こちらの様子をうかがうと、また来ると言い残して店を出て行ってしまう。尋子は、馬渕が持っていた旧いレコード『テネシーワルツ』の事を思い出した が、話さなかった。
その後も尋子は、篠原に付きまとわれていた。馬渕は、裏では荒稼ぎをしていたことを知らされ、何か知っていることがないか問われるが全く心当たりがなかった。篠原から婚約者の事を何も知らないと言われた尋子は行動を起こす。
馬渕が所持していた鶴寿院を訪ねて、「マブチ」という入所者がいないか確認するがそのような人物はいなかった。何の収穫も無く肩を落とす尋子。そこで偶 然、加寿夫に会う。加寿夫は、以前取材をした女性を訪ねてセンターを訪れたが、既に転院していたという。加寿夫に食事に誘われた尋子は、なぜか実家に連れ てこられる。尋子の父・壮太郎(西田健)は、元東西新聞社の記者で加寿夫の上司でもあった。2人から意外な人物の名前を聞く。それは、馬渕が持っていたレ コードに書かれていた“三隅早苗”の事だった。早苗は、昭和20年8月、群馬の山中に墜落した米軍機に乗っていた米兵を匿い、看病した女性だった。早苗は 子どもたちに口止めして米兵の治療をしたが、何者かに密告されて逮捕されたうえ一家は村八分に遭ったという。尋子は、思わず、取材の時に早苗が『テネシー ワルツ』の話をしていなかったか聞くが、そんな話は記憶にないといわれてしまう。果たして、馬渕と早苗の接点とは!?旧いレコードに隠されたある事件が明 らかになる!!出演: 高島礼子、佐藤二朗、小野武彦、金田明夫、西田健、清水紘治、三條美紀、寺泉憲、夏八木勲
スタッフ 【原作】望月武 【脚本】西岡琢也 【監督】児玉ヨシヒサ
前やってたブログにも書いたことですが、ちょっとした興味に始まって、音源や資料の収集とあわせて「懐メロ」のデータベースみたいなものをコツコツ作っています。
データベース…と考えると、細かいことが気になります。すごくコンポンテキな話なんですが「懐メロの定義とはいったい何ぞや?」みたいなこと。
wikiによると、テレビの歌番組のタイトルに端を発したこの言葉は、あまりにもいろいろに用いられ過ぎたので明確な定義が存在しないのだ、と。つまり人それぞれ、それが懐メロだと思えたら懐メロってことですネ。
よーするに、わたしが作るデータベースなんだから、わたしが懐メロだと思ったら懐メロ、すごくパーソナルな話なわけで、そのへんを区別するために「懐メロ」に対して「nazmelo」という表記を考えました。なので、このブログで懐メロ関連記事を書くときのタグも「nazmelo」という表記にしてあります。
想定している年代は、狭義には1960年代後半ぐらいまで、広義には1980年代初頭まで、って感じでしょうか。
データベースと言っても、ただ項目を網羅する形で作るだけだと無味乾燥なんですが、たとえば前書いた笠置シヅ子さんの出現したインパクトとか、当時を知る人の語るエピソードまでわかると、これがなかなか面白い(わたしが資料を探すったって公共図書館ぐらいなので、たいへんですが)。
ちょっと気の済むまで追っかけてみます。
昔の流行歌を聴いてみると、きっと発売当時強烈なインパクトがあったんだろうなぁ~って容易に想像がつく曲っていくつかある。たとえば並木路子の「リンゴの唄」(1946)とか坂本九の「上を向いて歩こう」(1961)とかが代表格かな?あ、きっとサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」(1974)もそうだったに違いないし。こう、時代と共鳴しつつなおかつさらに新しい何かをたくさんの人々に提示することに成功した歌、っていうか。
笠置シヅ子が東京ブギウギを歌ったのが1948年なんだそうで。今までこの曲、子供の頃見てた素人歌番組の審査員の「おばちゃん」が実はその昔すごい歌手で、そのギャップにびっくり!とか、曲として新鮮、素晴らしい!ぐらいにしか考えてなかったけど、当時の世相を考えたらものすごい曲(曲と歌手のキャラクタ、パフォーマンス)だったんですよね。
(略)…とにかく、このブギの嵐は、すさまじいもので”大型台風”となって日本全国を吹きまくったものです。あのころ、赤ちゃけた焼け跡のように、日本人の心にこびりついていた敗戦による卑屈感を吹き飛ばしてくれたのは、実に彼女の「ヘイー」の一声であったといってもいいでしょう。
(略)…それはうたうというよりも、ジャングルの猛獣が咆哮するという感じで、大衆のコンプレックスを吹きとばす”怒号”といったほうがぴったりするものでした。
とにかく、カストリ、パンパン、サツマイモ、復員服が押しあいへしあうヤミ市のあの時代に「心ズキズキワクワク」させて、世の中を明るくした”大きな歌”です。
(日本コロムビア創立80周年特別企画・オリジナル盤による昭和の流行歌(上)ブックレットより)
こう、何て言うか、この曲や笠置シヅ子の一連のブギ(作曲は服部良一)って、ある種パンクですよね。ベクトルが真逆なんだけど、その社会状況との相対的な関係とエネルギーの表出の仕方においてまさしくパンク、というか。